暗闇のソーシャルエンターテイメント
8人一組のグループは、視覚障害者のアテンドスタッフに導かれ、完全に光が遮断された空間での探検を開始します。 そこは東京のど真ん中「神宮外苑前」のビルの地下「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」。 最初は「不安を感じる」といわれ、皆もそのようでしたが、私は好奇心が先に立ち、一人動き廻っていたようでした。「笹の樹(葉)がある」「水が流れている」・・・云々、声を上げながら。「乾いた笹の葉の匂い」「水の流れる音」があるのですね。 また、名乗ってから話し始める。見えていない相手が理解できるように話す。障害物や床の凹凸など、見つけた人はどんどん発信して共有していく。これらは、「コミュニケーションは相手に伝わったもの」と、私が研修でいつもお話ししている事ですがコミュニケーションの大切さ、暖かさを再認識しました。
コミュニケーションの枠を外す
人は「見たいものを見」「聞きたいことを聞いている」これも、研修で話ししている事です。 今回これに加えて、人は「自分が使いたい感覚のみに頼っている」とも思いました。 (「匂い」から人格・人間性まで決めてかかる。「見た目」では、その昔、茶髪=不良など)。 相手が見えることによって先に形作られるコミュニケーションパターン(枠・固定観念)。これは経験・体験から生まれ、有益・有効なことも多いのですが、普段最も多く使っている「視覚」が使えないことで、他の感覚が情報を得ようと活動し始めます。私の場合、視覚情報が邪魔しなくなり、自由に相手を感じ、自由に話すことが出来たと感じます。アテンドスタッフからは「少年のよう」と言われましたが、この「少年の『よう』」から、実年齢の想像はついているのだろうな、と感じとりました。
頭に浮かんだ「正解を知りたい」
90分の体験が終わった後、「実は、いま皆さんが体験した空間はこんなでした!」と『正解』を知る流れを期待した私が居ました。でも、それを口にしなくてヨカッタ、と思っています。 『正解』なんて無い事に気付いたのです。 『視覚で捉えたもの』はありますが、それが正解なんて、誰が決める!? 見えているつもりの人間が、自分の見えているものが正解と、思っているだけなんです。
2013.7.13
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