本来無一物、無一物中無尽蔵
「人は裸で、何も持たずに生まれ出てくる」 「何も持たない、執着の無いところに無尽蔵の可能性がある」どちらも禅語です。 新年に向け、自らの在り方を考える中で“執着を手放す”という言葉が浮かんだ後、この禅語がシンクロしてきました。 「禅の庭」の創作活動で有名な曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明さんによれば、「枯山水」さらに「石庭」は、何も無いから気持ちがゆったりとしてくる。石と白砂によって暗示される「とらわれのない」「執着しない」禅の心が見る人の心を洗い流し、のびやかな開放感を与えるのだと。
社会への還元
私の中で、「手放す」には“個”から“全体”(個人から社会)への還元という意味も含まれています。やっと、今ごろ「頂いたものをお返ししたい」と思えるようになりました。 本年も宜しくお願いいたします。
2017.1.1
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