知足の手水鉢
昨秋、西の京・山口を訪れた折り瑠璃光寺で見かけた手水鉢です。傍らの案内板に 「手水鉢の四方の字と真ん中の口とを結んで字を考えて下さい。」 と書かれており、 その続きに 「吾唯足知(われただたるをしる)となります。意味はお解りと思いますが、 現実に感謝し不平不満を云わず、より前進を誓う言葉ではないでしょうか。 この言葉は、お釈迦様が涅槃に入られる前、最後の説法「佛遺教経」の中に 言われた言葉で、この手水鉢は禅宗の寺にはよく使われています。」 とありました。
禅宗の境地
「まだ、あれが足りない、これが無い」と思っていても、実は「すべて、足りている」。 色即是空、空即是色。「人生それ以上でも以下でもない」。これが禅宗の境地なのか・・・。 コーチングを学び始めた当初「今は今で完全」「現状を完全なものとして受け入れる」と学んだことを思い出しました。 「足るを知る」今年一年、これを思い続けます。 本年も宜しく。
後日談(1月5日追記)「意識が見させる」
「知足の手水鉢」、これが意識化された正月の散歩道、我が家の近くにある天台宗 広福寺の境内に見つけました。苔むして文字は見えづらいのですが、直ぐに気付きました。凄いですね、今までは全く見過ごしていたものが飛び込んでくる「意識の力」。
2016.1.1
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