暗黙の了解
部下を持つ方への研修の場で「〝常識だろう〟〝当たり前だろう〟という事が通じない」との愚痴をよく聞きます。
コーチングを学び始めた当初、〝何時も、誰でも、当たり前〟は無いと教わりました。当時の私には結構インパクトがありました。
私が「皆そうでしょう」と言ったとき、「皆って誰?」とも聞かれました。そして「そ~ぅ、○○さんと✕✕さんなのですね。それが『皆』なのですね」と。
クライアントの固定化された見方に質問を投げかける、異なる視点を持ち込む、そういったスキルの一環です。揚げ足取りの様にも聞こえますが、揺さぶられます。
「言わなくても分かるだろう」は封印する時代かも知れません、「言わなければ分からない」、いや「言っても分からないかも?」を考える時代になってきています。あなたの組織環境では如何ですか?
「暗黙の了解」は「明文化されていないが、その組織内では前提になっている」状態だと思います。新人には「その前提」が伝わっていないのです。「そんなこと聞いていません。教えられていません。」なのです。
雇用関係にも存在した暗黙の約束「心理的契約」
組織研究の分野で注目されているテーマの一つが「心理的契約」だと知りました。その存在を提唱し研究しているのが米国人(カーネギー・メロン大学のデニス・ルソー教授、組織心理学)であることに驚きました。
心理的契約は「当該個人と他者との間の互恵的な交換において合意された項目や状態に関する個人の信念」と定義されています。
これは、雇用主と従業員とがお互いに何を期待し、与えあう義務を負っているかということに関する従業員側の認識であって、それが必ずしも雇用主側と共有されている契約関係ではないのです。
日本企業における「終身雇用」のような重要な約束が、法的に履行を担保された契約としてではなく、明文化されず、労使の信頼に基づいて維持されてきた・・・。
ここに心理的契約の本質をみることができ、これが日本の雇用関係を支えてきた暗黙の約束の効用だったと思います。
過度な期待が “裏切られ感” を生む
今その期待「分かっているでしょう」が通じない、通じても履行できない状態になってきているのです。
社員が抱いている期待の大きなものとして
・キャリアの道筋を明確に示して欲しい
・従業員の配置・転属について十分に説明して欲しい
・納得のいく成績・業績評価をして欲しい
があり、これらに対して応えられていないことが多いようです(横浜国立大学大学院 服部泰宏准教授 の著述を参考)。
お互いの期待を確認し合うことが大切だと思います。
それを「いつ」「どんな場面」で行うのがベストか?研修の中で考えたいと思います。
このトピックスのアイキャッチ画像ですが、「ワーケーション」で自由に仕事ができるぞ!と喜んでいる絵、ではなく「そんなこと契約書に書いていないじゃ無いか!やってられない!!」と投げ出している絵です、と言ったら・・・?
(実は、こんな場所に旅したい)