『失われた時を求めて』名文選
先月、出身高校の同期会があり〝『失われた時を求めて』名文選〟という著書を頂きました。
繊細複雑な文章と、その長さで文学史にそびえ立つ『失われた時を求めて』。岩波文庫版を全訳した編者が、生と死/愛と性/認識と忘却など、八つのテーマで選び抜いた断章は、あらすじを知らずとも、どの頁からでも気軽に楽しめる。人間と社会の深層をえぐる箴言と散文詩のような珠玉の文章には、世界の見方を一新する言葉が煌めく
と岩波書店のHPで紹介されている一冊です。
超長編の本編は2019年11月のトピックスで紹介したように、その作品の素晴らしさ、それを完訳した吉川さんの業績は広く認められているのですがその長さ故、完読した人が少ない。
「これならば、おまえにも読めるだろう」と書いてくれたと受け止めています。
そうした本ですが、一ヶ月掛けて読み終えました。
どの頁でも独立して読めるのですが、偶然開いたその頁でも、読み始めると引き込まれ何度も繰り返し味わい、自分の思いと重ね、時間がかかります。こういった場(ホームページ)では書けない思いも浮かび続けます。ごく一部ですが、私が研修で良く伝えている「習慣化」の大切さに関わる記述を紹介します。
「習慣」は便利
この瞬間から、もはや私はひと足たりとも歩む必要はなくなる。
地面が私のために庭のなかを歩いていてくれるためで、
庭ではずいぶん前から私の行為に意識的な注意力が伴わなくなっているのだ。
「習慣」が私を両腕にだきかかえ、小さな子供のようにベッドまで運んでくれるのである。
素晴らしい表現ですね。先ずそこに感服。
当初は難しく出来ないと感じても、習慣になれば楽に続けられる。
毎回考えながら行動する必要はなく、自然な流れとして行動できる。
必要なものは、必要とする場所に在り、何も考えずに手が伸びる。家を出ようとすれば、手には鍵が握られている。
その他諸々、私自身習慣化の恩恵を受け幸せな生活を築いて来ました。
ただし、最近は習慣化機能に錆が出始め、「あれっ?」と動きが止まる事が起こるように、・・・ 今何をしようと思っていたのかな? 立ち上がったのは良いけれど・・・、そういった現実も受け止めなければならない。
「習慣」は人を愚鈍にする
習慣は人を愚鈍にするほかなく、われわれの生涯の全期間にわたり、
世界のほとんどすべてをわれわれの目から覆い隠し、
深い闇の中で、人生の最も危険な、あるいは最も陶酔をさそう毒物を、
そのラベルはなんら変えずに、なんの悦楽ももたらさない無難なものにとり替えてしまう。
こう来たか・・・、私の中に、この捉え方はありませんでした。
習慣のマイナス要素ですね。
習慣となった環境に慣れ親しむことで、無関心になり、これは今まで通り、いつもやっていることだから、・・・あらぬ方向にシフトしていても気付かない、そこに外部からのコントロールが働いていても。
恐ろしいですね、時々、立ち止まって振り返る必要がありますね。
「慣れ」は危険!
全く次元が異なりますが、年末の習慣を振り返り、
「紅白歌合戦」を見る習慣は薄れてきている、
「お歳暮」を贈る習慣は残っている、
「年賀状」を送る習慣は今回で止める。
(「締め」のご挨拶状をお送りします)