禅×コーチング

▲ 「禅×コーチング」@zoomの1シーン(島津清彦さん)

コーチ仲間の勉強会で「禅」を

コーチで養蜂家で、在家得度されている“幸知 輝”さんのご紹介で、禅マインドプロデューサー島津清彦さんをお呼びしたコーチ仲間の勉強会が行われました。
私自身、以前より「禅」「マインドフルネス」には大変興味を持っており「禅語」を引用したりしていました。
この勉強会で見せられた(上のアイキャッチ画像に示されている)
“「単」純に「示」すと書いて「禅」という”
これに深く感じるものがありました。正に「日本文化」の本質に通じるものと思いました。続いて「無の境地」という言葉も浮かびました。

コーチがクライアントさんと対峙、傾聴するときに、真のリラックス状態になっていると、入って来るもの感じ取るもの、相手に与えるものに違があるはずだろうと思います。この状態作りには「坐禅」が役立つはずです。これを機に、日常に坐禅を取り入れようと決心しました。

初心忘るべからず~コーチ道

「初心」には、このような意味が

もう一つの学びは、「初心不可忘(初心忘るべからず)」。

これは、世阿弥の言葉と言われていますが、現在は、“物事を始めたときの「志」(新鮮な気持ちや意欲)を忘れずに持ち続けなさい”、という意味で使われていると思います。

しかし、世阿弥は、若い頃の未熟な芸や、年齢ごとの芸に対する境地を指すもの、芸のレベルを計る基準としてこの「初心」と言う言葉を使っていたようです。世阿弥は、この教えを3つに分けて説いています。

「是非(ぜひ)初心を忘るべからず」
若い頃の未熟な芸を忘れなければ、そこから向上した今の芸も正しく認識できる。

「時々(ときとき)の初心を忘るべからず」
年盛りから老後に至るまでの各段階で年相応の芸を学んだ、それぞれの初めての境地を覚えていることにより、幅広い芸が可能になる。

「老後の初心を忘るべからず」
老後にさえ、ふさわしい芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに限りない芸の向上を目指すことを説いています。

「これで完成」がない、何処までも学び続ける「道」の世界ですね。
コーチングも「コーチ道」だと思っています。一生、学び続けます。